岩城宏之/ブラームス: 交響曲第1番、悲劇的序曲、大学祝典序曲(2024年マスタリング)<タワーレコード限定>[TWSA1179]ドイツ伝統のサウンドを継ぐ名オーケストラを率いる若き岩城の名盤がSACDで復活!カイルベルトが亡くなった年、1968年の貴重なステレオ録音。当時のコンマス浦川宜也氏によるソロ含む、万全のバンベルク響との共演。日本コロムビア所蔵のオリジナル・マスターテープからのリマスタリングによる世界初SACD化!岩城は1965年よりバンベルク交響楽団の指揮者に就任、カイルベルトの下で研鑽を積んでいた頃の貴重な録音です。ドイツのオーケストラならではの伝統を色濃く残していた時代のバンベルク響のサウンドを生かし、若き岩城の豊かな音楽性を反映した名演です。当社所有のオリジナル・アナログ・マスターテープからリマスタリングを行い初SACD化。音場・音質が鮮やかに向上しています。CD層も今回のリマスタリング音源を使用しています。この録音は収録当時弱冠36歳であった若き日の岩城宏之の重要な記録であり、かつドイツの主要なオーケストラであるバンベルク交響楽団との貴重な共演盤です。岩城は1960年にNHK交響楽団の世界一周の演奏旅行で当時常任指揮者だったシュヒターと外山雄三と共に指揮者陣に加わり、そのことが縁で1963年にベルリン・フィルに客演しました。また同年にはNHK交響楽団の指揮者となり、1965年にバンベルク交響楽団で常任客演指揮者に就任、1968年にはハーグ・フィルの常任指揮者にも就任し、まさに活躍の場を世界に拡げていた時期にあたります(その後1969年にNHK交響楽団の正指揮者となり'68-69にかけて日本人初のベートーヴェン交響曲全集を日本コロムビアに録音)。バンベルク交響楽団は1968年5月にNHKの招聘で来日し、当時首席指揮者であったカイルベルトと共に岩城は日本でも指揮をしています。カイルベルトはその後7/20にバイエルン国立歌劇場での「トリスタンとイゾルデ」を指揮中に急死していますので、この録音はその約2か月後というオーケストラにとっては苦境の時期に収録されたことになります(カイルベルトの死後、ヨッフムがこの年から1973年まで芸術顧問に就任)。そのような中、両者初のレコーディングが日本コロムビアによって行われたのはある意味重要であり、この時期の岩城の録音が海外の主要オケと行われた意義は大きいと言えるでしょう。また、当時のコンマスは1965年以来浦川宜也氏が務めており(バンベルク交響楽団第1コンサートマスター)、その意味でも当時話題となりました。岩城は終始精力的な指揮によりバンベルク響を引っ張っており、一定の緊張感を伴いながらもオケの美しく流麗な響きをさらに引き立てています。それにしても第2楽章での浦川のソロを含め当時のオケの音色は管楽器含め素晴らしく、この時期にはオイロディスクなどにも多くの録音があるとは言え、日本コロムビアのこの録音はその中でも特筆される出来でしょう。今回、オリジナルのアナログ・マスターテープより新規でデジタル化を行ったマスターから最新復刻を行いましたので、当時の響きがより蘇ってくるはずです。(1/2) ¥2,970 |
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ルドルフ・ケンペ/R.シュトラウス:アルプス交響曲(1966年録音) (2021年 DSDリマスター)<完全生産限定盤>[SICC-10382]タワーレコード x Sony Classical究極のSA-CDハイブリッド・コレクション第9回発売ケンペの知られざる第1回目の「アルプス交響曲」。伝説のエンジニア、ウィルキンソンが手掛けた名録音。アナログLP時代にR.シュトラウスの管弦楽曲全曲録音という偉業を成し遂げたルドルフ・ケンペ(1910-76)。シュトラウスの複雑かつ華麗なオーケストレーションの本質を捉え、ずっしりとした手ごたえのあるサウンドを引き出す手腕は、カラヤンやセル、ベームと並ぶ20世紀随一のシュトラウス指揮者としてのケンペの凄さを刻印しています。イギリスの名指揮者トーマス・ビーチャムの懇請で1961年にロイヤル・フィルの首席指揮者に就任したケンペは1975年まで同フィルのレパートリーを拡大し、世界各地へのツアーを重ねて、イギリスを代表するアンサンブルへと成長させました。指揮者には批判的なことで知られるロンドンのオーケストラの楽員も、ケンペの音楽性や人柄を無条件で賞賛し、心からの信頼を置いていました。ケンペが生涯で初めて「アルプス交響曲」を指揮したのが1966年4月、ロイヤル・フィルとの共演で、当盤はその直後にRCAによって録音されました(オーケストラの弦楽パートはケンペが実演で好んだ対向ではなく通常配置)。ロイヤル・フィルは1960年代に入ってから予約購読販売組織の「リーダーズ・ダイジェスト」の頒布レコード・シリーズのための録音を始め、そのプロデュースを手掛けていたRCAの鬼才プロデューサー、チャールズ・ゲルハルト(1927-1999)がこの「アルプス交響曲」も担当。デッカの名エンジニア、ケネス・ウィルキンソン(1912-2004)が、第2次大戦後のロンドンの主要録音会場として名を馳せたキングスウェイ・ホール(1912年建設、1998年解体)で収録した広々としたサウンドは作品のスケールの大きさに相応しいもので、今も新鮮さを保っています。「登り道」で1箇所だけ登場する舞台裏の金管のバンダの距離感も極めて自然に再現されています。このケンペ/ロイヤル・フィルによる「アルプス交響曲」は、SP時代の自作自演(バイエルン国立歌劇場管、1941年EMI録音)、モノラル時代のカール・ベーム(ドレスデン・シュターツカペレ、1957年DG録音)に続く史上3つ目の同曲録音で、メジャー・レーベル初のステレオ録音でもありました。それゆえ、ケンペ自身が再録音禁止期間の5年が切れる1971年にドレスデン・シュターツカペレと録音したEMI盤が1973年に登場するまではレコード市場を独占した感があり、この交響曲の知名度を高めました。アメリカ盤のほかに、同じデザインによるイギリス盤、ドイツ盤、イタリア盤、デザインの異なるフランス盤、日本盤が存在することからも世界各国でプレスされ、リリースされていることが判ります。またこの演奏は1960年代にRCAが力を入れた「ダイナグルーヴ Dynagroove」という製盤イコライジング技術でプレスされ、オーディオファイルのデモ盤としても使われました。(1/2) ¥2,970 |
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ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィル・コンプリート・CBSセッションズ1968<完全生産限定盤>[SICC-10379]タワーレコード x Sony Classical究極のSA-CDハイブリッド・コレクション第9回発売ケンペ&ミュンヘン・フィルによる初録音の全貌。1968年5月、わずか6日間で収録された奇蹟の音楽。20世紀後半を代表するドイツの巨匠指揮者ルドルフ・ケンペ(1910-76)が、1967年にミュンヘン・フィル音楽総監督に就任後、初めて同フィルとドイツCBSに録音した貴重な音源を全てSA-CD化。この1968年5月のドイツCBSへのレコーディングは、5月22日から27日にかけての6日間でLP4枚を録音するという集中的なセッションで、シュトラウス「メタモルフォーゼン」以外はケンペ唯一の商業録音であるのが特徴です。大曲シューベルトの「ザ・グレイト」は、ストレートな解釈を貫いて大きなクライマックスを築く手腕が見事で、この時期に録音として残されてよかったと思える名演(ケンペの「ザ・グレイト」はCD時代になってドレスデン・シュターツカペレとの1950年の演奏が放送録音からCD化されています)。「メタモルフォーゼン」とドヴォルザーク「弦楽セレナード」は、第2次大戦での爆撃前後のバイエルン国立歌劇場の写真をジャケットに使ったLPでのオリジナル・カップリングで、弦楽合奏の明暗が対照的な2曲を組み合わせた好企画盤。日本ではなぜかLPでは未発売で2002年にCDで初めて発売されました(なお、ケンペは「メタモルフォーゼン」を通常の同曲再録音禁止の通常規定が終わる5年後の1973年1月にドレスデン・シュターツカペレとEMIに再録音しています)。「最も音楽的なピアニスト」と称されるブラジル出身の名ピアニスト、ネルソン・フレイレ(1944年生まれ)のデビュー盤となった4曲の協奏曲も見事で、チャイコフスキーはフレイレ自身が「自分の録音の中でお気に入り」と挙げるほどの充実した名演。アルゲリッチとの共演盤がリリースされた1980年代まではフレイレにとっての代表盤(かつこれらの協奏曲の唯一の録音)でもあり、当時20代前半だったこのピアニストのずば抜けた音楽的センスを刻み込んでいます。フレイレは録音には極めて慎重で長いキャリアの割には協奏曲の録音が少なく、この4曲のうち複数の録音があるのはチャイコフスキーのみ(2014年、70歳を記念して発売された、デッカが放送録音による協奏曲演奏を集めた2枚組RADIO DAYSに、マズア/フランス放送フィルとの1969年ライヴが収録)。その意味でも価値が高い復刻です。録音会場のビュルガーブロイケラーは1885年に開場した1800人以上を収容できるビアホール・レストランでした。1920年代からは政治集会にも使われ、1923年にヒトラーが「ミュンヘン一揆」を起こした場所としても知られる歴史的な建物。音響の良さでも知られ、第2次大戦後のステレオ時代の1960~70年代にはミュンヘンのオーケストラの録音にも頻繁に使われました。ケンペ/ミュンヘン・フィルのベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーの録音はここが会場でした(EMIによるさまざまなオペラ録音のほか、C.クライバーのヴェルディ「椿姫」[DG]やリヒテルとのドヴォルザークの協奏曲[EMI]もここ)。1979年に解体されています。(1/2) ¥7,590 |
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カール・リヒター/J.S.バッハ: マタイ受難曲 (1979年録音)<タワーレコード限定>[PROC-2318]リヒター没後40年企画。不朽の1958年盤から約20年後のリヒターの"マタイ"、最終回答。最晩年、ARCHIVレーベルへの渾身の1979年録音盤を世界初SA-CD化!新規で本国のアナログ・マスターテープより最新復刻。国内盤での再発は約20年振りカール・リヒター(1926.10.15-1981.2.15)が残した最後のマタイ受難曲を世界初SA-CD化。最初の録音である1958年盤があまりにも有名なのに対し、亡くなる約2年前の録音であるこの1979年盤は、まさに忘れられたといって良いほどの扱いでした。何度も再発売される1958年盤の陰に隠れて、"無かったこと"にしたいとの声も聞こえる程です。一方で、リリースされた時期はアーノンクールを始めピリオドアプローチが主流になりつつあり、その時代においては、"過去のもの"として評価せざるを得なかった、という側面があったことも事実です。元々旧盤で示した方向性をさらに時代に応じて昇華させた演奏と期待していた当時のリスナーは、むしろ退化しているように映ったのでしょう。確かにモダン楽器で今更この解釈はどうなのかという疑念が当時生じたことは否定できません。リヒターは1958年盤の後、1969年の来日ライヴを挟み1971年に映像も収録を行っています。恐らく、出来に完全に満足できないリヒターが、更に高みを目指してマタイに常に挑戦をし続けたと言えるのではないでしょうか(解説書での矢澤氏は「精神の軌跡」と表現)。しかしその音楽はストイックなまでの厳格さの代わりに、より調和的な世界へ、和みの境地と融和を感じる演奏へと苦悩を伴って変化をして行ったように見えます。さらに後半部分になるに従い、その重さが身に染みるほど沈む演奏にも聴こえます。当時、疲弊したリヒター像としても受けとられたこの1979年盤の真価は、今こそ探求されるべきではないでしょうか。当時リヒターは望み得る最高のメンバーを招集しました。母体のミュンヘン・バッハ管弦楽団にはヘッツェルやニコレの名前がクレジットされています。更にオーボエにはマンフレート・クレメントという当代きっての名手(元バイエルン国立歌劇場首奏者。1959年以降ミュンヘン・バッハ管で演奏開始。1980年からはクーベリックに請われバイエンル放送響の首席に。ケンペ指揮でR.シュトラウスのオーボエ協奏曲も録音(EMI)。日本にも馴染みが深い))による素晴らしいソロの数々も聴きもの。また、歌手もリヒターにより当時の最高のキャストが揃えられ、シュライアーによるエヴァンゲリスト、F=ディースカウのイエスなど見事な布陣です。いずれにせよ、ここに残された演奏がリヒターの"最終回答"という事実に変わりはありません。リヒターが体現したかったこと、後の世に残したかったことや音楽観などは、この録音で我々も追体験が可能です。没後40年のこの機会に、わずか54歳で世を去ったリヒター最後マタイが最上の音質で蘇りました。より詳細に、より厳密に向き合う良いタイミングとして耳を傾けてはいかがでしょうか。(1/2) ¥6,985 |